大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和62年(ワ)1750号 判決

原告

日新火災海上保険株式会社

被告

市川一夫

ほか五名

主文

一  被告市川一夫は原告に対し金一一八万八〇三〇円及びこれに対する昭和六一年四月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告北口昇は原告に対し金四七万三九七五円及びこれに対する昭和六一年四月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告の被告真鍋克次郎、同医療法人岡本病院、同医療法人総心会及び同田中英治に対する請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告と被告真鍋克次郎、同医療法人岡本病院、同医療法人総心会及び同田中英治との間においては原告の負担とし、その余は被告市川一夫及び同北口昇の負担とする。。

五  この判決は一、二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

一  被告田中英治及び同市川一夫は、原告に対し、各自金七〇万四八三〇円及びこれに対する昭和六一年四月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告医療法人岡本病院、同市川一夫及び同北口昇は、原告に対し、各自金八万三四〇〇円及びこれに対する昭和六一年四月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  被告医療法人総心会及び同市川一夫は、原告に対し、各自金三九万九八〇〇円及びこれに対する昭和六一年四月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

四  被告真鍋克次郎及び同北口昇は、原告に対し、各自金三九万〇五七五円及びこれに対する昭和六一年四月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案

一  概要

本件は、保険金詐取目的のために故意に起こされた交通事故により病院に治療費を支払わされたとする保険会社が、事故により受傷したとして病院に入通院した者に対し、詐欺による不法行為の損害賠償として、また、各病院の経営主体に対し不当利得の返還ないし過失による不法行為の損害賠償として、それぞれに支払治療費相当額の金員の支払を求めるものである。

二  争いのない事実

1  事故の発生(以下「本件事故」という。)

(一) 日時 昭和五七年七月二一日午後八時

(二) 場所 京都市伏見区深草

(三) 加害車両 普通貨物自動車(登録番号 大阪四六の八四七二号)

右運転者 秋山利夫

(四) 被害車両 普通乗用自動車(登録番号 大阪五五え三六三五号)

右運転者 巌高雄

右同乗者 被告市川一夫(以下「被告市川」という。)、被告北口昇(以下「被告北口」という。)ほか

(五) 事故態様 加害車両が被害車両に追突した。

2  入通院

被告市川及び同北口は、本件事故により受傷したとして、次のとおり各病院(以下「被告病院ら」という。)において加療を受けた。

(被告市川)

昭和五七年七月二一、二二日

岡本病院(被告医療法人岡本病院経営)に通院

同月二三日

長岡京病院(当時雨森良幸経営。なお、現在は被告医療法人総心会が右雨森の同病院に関する債券債務を承継している。)を受診

翌二四日から同年八月六日まで

同病院に入院

同月七日から同月八日まで

田中第一病院(被告田中英治経営)に通院

同月九日から同年九月一六日まで

同病院に入院

同月一七日から同年一〇月二七日まで

同病院に通院

(被告北口)

昭和五七年七月二一日

前掲岡本病院に通院

同月二二日から同年一〇月二八日まで

真鍋病院(当時被告真鍋克次郎経営)に通院(七月二九日・三〇日は入院)

3  保険金支払

原告は、本件事故に先立ち、加害車両の保有者である池田文夫との間で同車につき自動車保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結していたところ、被告市川及び同北口が前記のような入通院加療を受けたため、同被告らが真実本件事故のために受傷したものと信じ、同被告らの治療費として、次のとおり金員を支払つた。

(一) 被告市川の治療費として

(1) 日時 昭和五七年一二月三〇日

支払先 被告医療法人岡本病院

金額 四万二七七五円

(2) 日時 前同日

支払先 雨森良幸

金額 三九万九八〇〇円

(3) 日時 前同日

支払先 被告田中英二

金額 七〇万四八三〇円

(二) 被告北口の治療費として

(1) 日時 昭和五七年一二月八日

支払先 被告真鍋克次郎

金額 二六万一〇五〇円

(2) 日時 昭和五八年一月一二日

支払先 前同

金額 一二万九五二五円

(3) 日時 前同日

支払先 被告医療法人岡本病院

金額 四万〇六二五円

三  偽装事故について

原告は、本件事故は、被害車両の運転者及び同乗者並びに加害車両の運転者が保険金騙取の目的で共謀して発生させた偽装事故であり、被害車両の同乗者であつた被告市川及び同北口はなんら受傷していないにもかかわらず、保険金騙取のため受傷を装い、被告病院らを受診して治療を受けた旨主張し、被告北口はこれを争つている。

(なお、被告市川は、適式の呼出を受けながら、本件口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面も提出しないから、本件事故が保険金詐欺目的の偽装事故である旨の原告の主張事実を明らかに争わないものと認め、これを自白したものとみなす。)

そして、証拠(甲二一、二三ないし二六)によれば、被告市川及び同北口は、昭和五七年七月二一日、地福敏郎、秋山利夫、巌隆雄らと共謀し、保険会社から保険金を騙取することを企て、京都市伏見区深草泓ノ坪町の路上において巌が運転し被告市川及び同北口が同乗する被害車両(京阪タクシー)に秋山ないし地福運転の加害車両を数回追突させて本件事故を発生させ、あたかも不慮の事故があつたかのように偽装し、さらに実際はほとんど受傷してはいないにもかかわらず、右事故により医師の診療を要する程度の傷害を受けたかのように装つて前記のとおり被告病院らを受診し治療を受けた事実が認められ、他にこの認定を左右する証拠はない。

四  争点

本件の争点は、被告病院らが原告から被告市川及び同北口の治療費の支払を受けたことが「法律上の原因」を欠き不当利得となるか否か、また、原告が治療費相当の損害を被つたことにつき被告病院らに過失による不法行為責任があるか否かである。

(原告の主張)

1 治療費直接支払契約等の合意及びその錯誤無効

原告は、本件事故が不慮の事故であり被告市川及び同北口が真実受傷しその治療が必要であつたものと誤信したため、昭和五七年一二月ころ、各被告病院との間において、被告市川及び同北口が各被告病院らにおいて受けた診療の報酬を支払う旨の重畳的債務引受契約又は治療費直接支払契約を締結し、これに基づき被告病院らに対し前記各治療費を支払つた。

そして、原告は、右契約の際、原告が支払うのは本件事故との間に相当因果関係があり、かつ保険契約者である池田文夫が被告市川及び同北口に対し損害賠償責任を負う治療費部分に限る趣旨を述べ、契約の締結は本件事故が真実不慮の事故であり、被告市川らがそれにより真実治療を要する傷害を負つたことを動機とする旨を表示した。

したがつて、原告と被告病院らとの右契約は錯誤により無効であり、これに基づき支払われた金員は被告病院らの不当利得となる。

2 保険金支払義務の約款に基づく免責

前記各治療費は、被告病院らが、被告市川及び同北口に対する診療報酬支払請求権を保全するために債権者代位権に基づき、同被告らの原告に対する保険金直接支払請求権を代位行使したのに応じる趣旨で原告が被告病院らに支払つたものであるところ、本件事故は被保険者である秋山利夫が被告市川及び同北口らと共謀して故意に引き起こした偽装事故であるから、原告は、本件保険契約の準拠する自家用自動車保険賠償責任条項九条一項の適用により保険金支払義務を負わない以上、これに基づき支払われた金員は被告病院らの不当利得となる。

3 診療契約の無効

前記各治療費の支払が被告市川及び同北口の被告病院らに対する診療報酬支払債務を原告が第三者弁済したものであるとしても、被告市川及び同北口にはなんら傷害はなく、これらに対する治療行為は必要性がないばかりか有害でさえあるから、これを目的とする被告病院らと被告市川ないし同北口との間の診療契約は、治療の対象の不存在、公序良俗違反又は被告病院らの錯誤(傷害があるものと誤信)により無効であり、したがつて、被告病院らの右支払の受領は不当利得となる。

4 被告病院らの過失

被告病院らは、医療機関として保険金詐欺に協力する結果にならないようにする注意義務があるのにこれを怠り、担当医師及び看護婦を通じて被告市川及び同北口の症状が詐病であることに気づきその治療を打ち切るべきであつたのに、同被告らの求めるがままに漫然と治療を続けた過失がある。

5 受傷の有無の診断に要する程度を超過する診療行為

被告病院らにおいて、本件事故により受傷した旨の被告市川及び同北口の訴えに対し即時にその真否を判断できないにしても、被告市川について長岡京病院の医師は遅くとも事故後一〇日が経過するまでに、また、被告田中第一病院の医師は遅くとも初診後一週間が経過するまでに、被告北口について真鍋病院の医師は遅くとも事故後一〇日が経過するまでに、それぞれ同被告らの詐病に気づいて治療を打ち切るべきであつた。

したがつて、右各期間内の診療行為ないしその報酬の受領については、不法行為又は不当利得とならないにしても、右各期間経過後の診療行為ないしその報酬の受領については、前記3及び4の理由により、不法行為、不当利得となり、被告病院らは原告に対し賠償ないし返還の義務を負う。

(被告病院らの主張)

前記各支払は、法的には単なる第三者弁済であり、被告病院らはいずれも原告主張のような合意をしたことはなく、また、被告市川及び同北口の原告に対する保険金直接支払請求権を代位行使したこともない。

また、被告病院らにおいて、被告市川や同北口の詐病を見抜くことは不可能であつたし、また、医療機関としては、患者が症状を訴える以上、原則として診療を拒めないうえに、右被告らの診療目的が保険金詐取にあつたとしてもそれを知り得なかつたのであるから、被告病院らと右両被告との間の診療契約を原告主張の理由により無効とすることはできない。

第三争点に対する判断

一  原告の被告病院らに対する前記治療費の支払の趣旨

本件全証拠によつても、原告から被告病院らに対する前記治療費の支払にあたつては、原告の担当者から各被告病院らに対し被告市川ないし同北口の治療費の請求依頼があり、各被告病院らがこれに応じて診断書及び診療報酬明細書を送付し、原告において右内容を検討し、必要に応じて減額交渉を行つたうえ、原告において相当と認める金額を各被告病院らに支払つたことが認められるにとどまり、さらにそれを超えて、原告が本来被告市川及び同北口が被告病院らに対し支払うべき治療費を被告病院らに対し自己の債務として支払義務を負担することを内容とする重畳的な債務引受や治療費の直接支払を契約したとか、被告病院らが、被告市川や同北口の資力に不安を持ち、自己の債権の保全のために被告市川や同北口の原告に対する保険金直接支払請求権を債権者として代位行使したことまでをうかがわせるような事情は認めるに足りない。したがつて、原告の被告病院らに対する前記各支払は、診療契約に基づき被告市川又は同北口が被告病院らに対し負担する診療報酬支払債務を事実としては立替払いし、これを法律的に評価すれば第三者弁済したとしか認められないから、他に被告病院らが原告から治療費の支払を受け、それを保持することが不当と断ずるべき特段の事情が認められない以上、後述のように被告病院らと被告市川ないし同北口との間の診療契約に無効事由が認められないかぎり、原告が被告市川及び同北口に対し保険金支払義務を負わない場合でも、被告病院らによる前記各支払の受領が法律上の原因を欠くものとは認められないことになる。

二  診療契約の無効事由について

1  被告病院らにおける診療経過

証拠によれば、以下の事実が認められる。

(一) 岡本病院(甲七、一三、二五、丙三ないし六、証人山本正治)

被告市川及び同北口は、本件事故当日、地福敏郎とともに交通事故の被害者として救急車で岡本病院に送られ、タクシーの後部座席に乗車中追突されたと説明したうえ、被告市川は、同病院の医師に対し、頭がボツとしている、頚に軽度の痛みがあるなどと訴え、ジヤクソンテスト陽性、スパーリングテスト陽性などの所見を示し、翌日も頭がボーとするなどと訴えていたが、同被告が近医への転院を希望して治療打ち切りとなり、また、被告北口も頚部後方が「だる痛い」感じがすると訴えたが、翌日以後来診しなくなつた。

(二) 長岡京病院(甲二五、丁一、二の一ないし三、三の一ないし一三、四、五、六の一)

被告市川は、昭和五七年七月二三日、頚部をカラーで固定した姿で長岡京病院を受診し、その際、タクシーに乗車中マイクロバスに追突されて一瞬気を失い、救急車で岡本病院に送られた旨を説明したうえ、頚部捻挫で湿布、投薬等の加療中であるとの岡本病院の医師の紹介状を呈示し、項部より後頭部にかけての倦怠感を伴う疼痛、腰痛などを訴えて入院したい旨を述べて、頚部捻挫、外傷性頭頚部症候群、腰部捻挫との診断を受け、入院を許可され、入院時の検査においてジヤクソンテスト陽性、モーレイテスト右陽性、スパークリングテスト擬陽性とされ、同年八月六日まで入院した。

(三) 田中第一病院(甲二三、二五、戊一ないし三、証人山本正治)

被告市川は、地福敏郎が田中第一病院の特別室に入院していることを羨み、同人に自分も同病院に入院できるよう手配を依頼したところ、原告の担当者である東本が同病院と掛け合つた結果、被告市川も、タクシーに乗つていて後続車に追突されて鞭うちと腰部捻挫の傷害を負つた者として、昭和五七年八月九日から同病院に入院することとなつた。しかし、被告市川は、腰痛、前屈時の頚部痛を訴えたことはあつたものの、同年九月一六日に退院するまで、ほとんど病室不在であり、病院内に留まつていても飲酒をするなどその入院態度は劣悪であつたにもかかわらず、強制退院を命じられることはなかつた。

なお、被告市川の症状経過に関する甲第一五号証及び第一七号証(いずれも田中第一病院発行の診断書)の記載は、戊第一号証及び第二号証(田中第一病院における入院診療録及び看護記録)の記載に照らし到底信用できない。

(四) 真鍋病院(甲一九、二〇)

被告北口は、昭和五七年七月二二日、真鍋病院を受診し、前日に追突事故にあつたとして、右項部痛を訴えて、以後同病院に通院し、物理療法を受けていた。

2  判断

右認定によれば、いずれの被告病院においても、少なくとも初診時においては、被告市川ないし同北口に自覚症状の訴えがあり、かつ患者本人の説明や前記の治療費の支払に関する保険会社との交渉などから、右被告らが追突事故に遭遇したこと自体には疑いを差し挟む余地はなかつたところ、これに前記の入通院期間及び医療機関が原則として診療の求めを拒み得ないことなどを考慮すると、たとえ本件事故が偽装事故で被告市川や同北口に受傷の事実がなかつたとしても、被告病院らと右被告らとの間の診療契約の全部又は一部が診療ないし治療の対象を欠くものとはいえず、また、公序良俗違反ということもできないし、さらに被告病院らが右被告らと診療契約を締結したことが錯誤に基づくものとも認められない。

なお、公序良俗違反に関し、若干付言しておくと、確かに、前記認定の被告市川に対する入院管理状況に照らすと、田中第一病院における入院について、その必要性・相当性には少なからず疑問が残り、またその入院が保険金詐欺という犯罪行為の手段とされていたという事情も明らかであるが、入院患者の素行の悪さによる入院の必要性・相当性の欠如自体から診療契約を公序良俗違反とすることは相当ではないし、患者側の入院目的が偽装事故による保険金詐取という犯罪行為にあつたとしても、後述のように病院側に過失があつたとする事情が証拠上必ずしも明らかではない以上、なお診療契約を公序良俗違反とするには足りないと言うべきである。

三  被告病院らの過失について

前記の被告市川及び同北口の被告病院らにおける診療経過及びその他関係証拠によつても、原告が本件事故の偽装により被告病院らに対する支払治療費相当の損害を被つたことにつき、田中第一病院を除く被告病院らに過失があると認めるに足るものはなく、また、田中第一病院についても、被告市川が原告の担当者の紹介で交通事故による鞭うち患者として入院してきたこと、その際、原告の担当者がその費用を支払う旨を伝えていたこと、さらに、原告側も治療費の支払時において、減額交渉の末にではあるが、被告市川の前記のような入院態度を把握しながら、治療費を支払つていることに照らすと、入院態度の劣悪な被告市川を退院させずにいたことのみをもつて田中第一病院に過失があるとは認められない。

第四むすび

以上の次第であるから、原告の請求のうち、被告市川及び同北口に対する不法行為に基づく前記治療費支払相当額の損害賠償及びこれに対する治療費支払の日の後である昭和六一年四月二四日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める請求は理由があり、その余の被告らに対する請求は理由がない。

(裁判官 林泰民 松井英隆 左茂剛)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例